わたしの両親は、揃って大の犬好きでした。
父は特に日本犬が好きで、高知犬(幡多系)や柴犬を飼っていました。
「犬は飼い主を選べないのだから、飼われたからには幸せになる権利がある。
人は殺生与奪の決定権を握っているのだから、飼ったからには幸せにしてやる責任がある。
最後まで責任を持てないなら最初から飼うな。」小さい頃から何度も父に言われてきた言葉です。
両親が飼った最後の犬は福と言う名前の牝犬でした。
母の四十九日の日、玄関脇の茂みの中からひっそりと法事のお客様をお見送りしていたのでしょうか。
顔を門の方へ向けたまま、茂みの中で静かに息を引き取っていました。
友引の日に亡くなった母のお供をしてくれたのだと思っています。
その後、父は次の犬を飼いたいと一度も言わないまま、数年後に母の元へ旅立ちました。
今の私はアルスの一生に充分責任を持てると思っています。
そして私が与えているささやかな保護に比べて、はるかに大きな親愛を彼から受け取っています。
あまりの心地よさに、晩年、父のように出来るかどうか自信が有りません。