中勢鉄道 相川橋梁跡
 
平成27年9月撮影 by hashimoto
 
中勢鉄道橋台
 
 ウィキペディアによりますと、明治41年、大日本軌道伊勢支社の路線として久居から聖天前間が開業したとの記述があります。この橋梁跡(橋台)は、その路線として津市久居相川町内を流れる「2級河川 相川」を渡河するために建設されたものです。
 レールの幅(軌間)は762mmで、現在の近鉄の1435mmの半分ほどの軽便鉄道でした。輸送能力や安全性が低く転覆事故を起こしたこともありました。コストに見合わなかったのでしょうか、戦時中の不要不急路線として、昭和18年には廃線となってしまいました。しかし、建設以来100年以上この地にあることになります。
 現在では草木に覆われていますが、両端の橋台と、前後の路盤の痕跡が残されています。橋台はいまだ強固であり当時の技術水準の高さを物語っています。
 その上流側も下流側も後世の河川改修によるものと思われる間知ブロックが積まれておりますが、その部分は橋台の川幅のままで積まれているため、現在では河川がここでボトルネックとなっており、流下を妨げる結果となっていることは皮肉なことです。