和 声 講演:田舎のGRF先生
演奏家もいろいろで、同じ曲でも人によって違って聞こえます。
特に目立つのはテンポや強弱の違い。
これはどんなシステムでも違いが判ります。
ところがもうひとつ大事な事に和声の構築の仕方があります。
これが、困った事にシステムによって違って聞こえてしまいます。
和声は音楽が進行していく上で曲想を大きく左右する事柄で、良くCマイナーとか、Dメジャーとかいった調律の中で構築され、
変化していき音楽進行の法則を作っています。
ギターなどでコード進行とゆうのがこれで、オーケストラの大曲も同様な法則で進行しています。
今、皆さんはピアノの前に座ってハ長調の和音。
ドミソの和音を弾いてみます。
この時に、三つの音を鳴らすだけなのですが、三つの音の強さや大きさのバランスを色々変えてみると、ひとつの和音でもいろい
ろな性格が出てくる事が判ります。
例えばドは大きく柔らかく、ミは豊かに響くように、ソは鋭く控えめに添えるようにといった調子です。
弾き方を変えると全然違って聞こえるはずです。
同じ音なのにドラマチックだったり、冷ややかであったり、深淵であったり、弾き方によってひとつの和音でも魂が宿るのが判り
ます。
ピアノ弾きは使う10本の指に入れる力を加減してそれぞれの指が弾く音にそれぞれ思い入れを持って、10本の指がそれぞれ別
の奏者であるかのように弾けるのが良い演奏者です。
これを理解して、曲を研究しひとつひとつの音をどう出すのかを一流の演奏者は毎日四六時中考えています。
十本の指がすべて独立した意思を持って自然に演奏が進んでいく。
正に神の領域に近い世界です。
いろいろな曲をこう聞きたい、どうも上手く聴けないとゆう事柄は、それぞれのシステムの出せる音のバランスにも関係があるよ
うです。
先ほど下のレスに書いたように、私は昔はホロヴィッツが嫌いでした。
リズムは揺れ動いて一定しないし、妙に響きが多くて鼻持ちならない。
メロディ主体で聴いていた若い頃には、その素晴らしさを理解する事が出来ませんでした。
今から10年ほど前に、ホロヴィッツが弾くスカルラッティのソナタを聴いて涙が出るほど、その美しい音楽に感動しました。
皆さんにお送りしたCDRに収録してあります。
シンプルなその曲の中のひとつひとつの音に込められた、超人的な技を聴いてみて下さい。
ひとつひとつの音に愛情が満ち、深い音楽の世界に浸る事が出来ます。
すべての音の大きさ、長さ、リズム、強弱、すべての要素に神経が行き届き計算され、完成された音楽に心が揺り動かされるは
ず。
私は、自分のシステムがこの演奏のバランスをキチンと再現出来る事を良否の目安のひとつにしています。
でも、これは実は演奏家の思い入れに寄るものではなく、私の勝手な思い入れなのかもしれませんが。
ピアノ奏者の超人的な音楽性ですが、そこまで到達する人はプロ中のプロ。
常に演奏で聴く人の心をつかむ技を持っています。
これが、一人でなくオーケストラになるともっと大変。
何しろ生まれも育ちも違うバラバラな人達の寄り集まりなのですから、ひとつの和音を上手く出すどころか、同じ楽器の中でユニ
ゾンを揃えるのも大変です。
ユニゾンは同じ楽譜を同時に複数で演奏することです。
世界的に一流と言われる伝統を持ったオーケストラには様々なクセのようなものが存在します。
例えば4パートの弦楽器郡がフォルテを演奏したときに、それぞれのパートのバランスがオケによって異なります。
アインザッツ(音の出始めと終わり)も違います。
ウィーンフィルのアインザッツは有名で、ズレが大きいために独特な重みが出ます。
これは、指揮者がいくら力んで治そうとしても治りません。
無理に治そうとすれば、スカンを食らう事になります。
ウィーンフィルの演奏が他のオケと同じでは意味が無い事を知っていて、その事に誇りを持っているのです。
チャイコフスキーの交響曲を聴いていると、非常に豊かで暖かみのある和音が多用されているのに気が付きますが、ムラヴィンス
キー、レニングラードの頃はこの和音の演奏がとても濃い暖色で表現されます。
ムラヴィンスキーのチャイコフスキーの音楽に対するイメージなのです。
ムラヴィンスキーはショスタコーヴィチも多く演奏していますが、ショスタコーヴィチの冷たい引きつるような和音をやはり強調
して演奏します。
ムラヴィンスキーの演奏には曲の特徴によって演奏のカラーを変えていることが良く解ります。
また、総じてロシアのオケの和音は暖色系の色で表現され、ドイツ系はダーク色、イタリヤはやはり明るいですが暖色ではなくカ
ラッとしています。
ドイツ系の中ではウィーンは明るめで特徴があります。
この違いは、そのオケが持つ和音の作り方のクセのようなもので、ほとんどの古いオケの中では、キチンとそういった事が決めら
れて守られています。
文書化しているわけではありませんが、プレーヤーからプレーヤーに受け継がれているのです。
それぞれのオケの楽員はオーディションを受けて採用されますが、入団すると、日本の学生バンドのように先輩からオケの決まり
のレクチャーを受けます。
シュトラウスのラデッキーのときはこの部分はヴァイオリンよりちょっと遅く出て曲を引きずるようにするんだ、とか、チャイコ
フスキーの五番ではホルンは頑張って和音の主導権を取るんだ、とか。
日本のオケではそんな妙な決まりがないので、どんな国からどんな指揮者が来ても名演が出来るわけです。
日本のオケは指揮者が思いきり手腕をふるって、やりたい放題が出来るとゆうわけです。
皆さんは理屈でなく、感覚的にオケによる好き嫌いを感じていると思いますが、私もプレーヤーでしたので、そうゆう見方で音楽
を聴いていくと、名門オケは非常に細かくそういった所を押さえている事が解って興味深いです。
コンダクターのイメージはとても大切で、曲の流れを作ると共に、その瞬間瞬間のひとつひとつの音をどう表現するのかを学ばな
ければなりません。
ショルティさんはそうゆう部分に凄く真剣で、インタビューを受けても、もの凄く熱っぽく語っていました。
現実にショルティの代でシカゴ響はシカゴの音色を作り上げています。
彼はもの凄く細かく、精力的なトレーナーだったと楽員が語っていました。
そうゆう意味で私は日本の有名な指揮者の中では、岩城宏之さんはピカイチだと思います。
オーディオをやっていると音ばかり気になってしまいますが、音楽をたまにはいろいろな成分に分解しながら聴いてみると、いろ
いろな違いが見えて面白いですよ。
良い演奏家とそうでない人の区別もついてしまいますけどね。
とゆう、私の勝手な持論でした。
ここまで読んで下さってありがとう。
私が変人に思えて来ましたでしょ(笑)
(2005.1.30)
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