都会のひとコマ 著者:ぶるくな10番!
「あなたってステレオタイプな人ね」
そう言って彼女は僕の前から去っていった。
薄寒い11月の夕暮れ。
街にはもうクリスマスの準備が着々と整いつつあって、あの煌びやかなネオンやスパンコールの掛かった星の飾り物達が今ではもうどうでもいい、終わってしまった祭り事のように輝いている。
向かいの交差点を曲がった古びたカフェには、来週末に彼女を誘う予定だった。
チャリン、チャリン。
カウベルというのも最近では珍しくアカ抜けない雰囲気が今は何とも心地よい。
誰も出迎えにこない店先に少しとまどいながら、窓際に空いている席を見つけた。
木製の冷えた椅子に独り腰掛けると、三席ほど隔てたちょうど正面に品のいい工芸家具のような大きなスピーカーが置かれてあった。音は出ていない。
「いらっしゃいませ」
「あの、スピーカー・・・」
オーダー前にこちらがスピーカーのことを尋ねようとしたことに、白髭をたくわえた恰幅のよいマスターは少し驚いた様子だった。
「あれですか、タンノイGRFメモリーというスピーカーですよ」
「タンノイ・・・」
そんなスピーカーは聞いたことがない。
「なぜ鳴らさないのですか?」
「お聴きになりたい?」
「はい」
手際よくアナログのレコード盤をとりだすと表面をクリーナーで拭いた。CDではクリーニングをしない。
トーンアームを持ち上げながら慎重に針を降ろすとバチバチとノイズが鳴る。CDではノイズは鳴らない。
何もかもデジタルでオート。
そこに置いてスイッチを押せば雑作もなく目的の音楽が流れだす。
そう何もかもがデジタルでオート。
トーレンスのTD-127というアナログプレイヤーは美しくそして温かくバッハのクリスマス・オラトリオをタンノイとともに歌った。
目の前のテーブルには手をつけられないままのホットコーヒーが冷めたまま置かれている。
「実は来週末に店をたたむんですよ」
ふと横にはマスターが居て気さくな笑顔をこちらに向けた。
「もう終わってしまうんですか?」
唐突な言葉に当たり前のことを聞き返した。
「はい、終わってしまうんです。30年つづけたのですが、やっぱり流行りの店には勝てなくてね」
「そんな、せめてあの真空管が切れるま続けられたら」
相当おかしなことを口にしていた自分なのに何故かそれ程可笑しいとは思わなかった。
そしてマスターもいたって冷静に答えた。
「あなたのような方がこの街からだんだん減っているのですよ。今ではこの店の存在すら知らない人も多い」
「こんな一等地に建っているんですから、知らない人はいないでしょう?」
「そうあって欲しいものです。」
名残り惜しく閉店まで居てそのカフェを出ると、家路にもタンノイの優しい音色を思い出していた。
ふとジャケットの右側のポケットが震える。J-PHONEの三世代前の古い携帯には彼女からのメールが着信されていた。
”さっきはごめんね。怒ってるよね。来週あの交差点の角にあるアンティークなカフェにいかない?”
三番線のプラットホームで各駅停車を待ちわびながら、彼女にもあのカフェが見えていたことになんだかとても安心する自分が少し可笑しかった。
<おわり>
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