文化財の宝庫白山町を歩こう

白山道しるべの会


車で移動が便利     

見所いろいろ

(南出) 白山比盗_社(しらやまひめじんじゃ)
伝説によると加賀の白山から修験者がこの地に来て川の畔で休憩をしていると 白鳥が飛び立ち7箇所に舞い降りた。その場所に神社が建立された。 南出白山比盗_社、川口白山比盗_社、山田野白山比盗_社、八ツ山神社、 家城神社は白山地域に、竹原神社は美杉町に、あと一箇所は松阪市宇気郷地域にある。
三重県津市白山町南出851
成願寺 ( 天台真盛宗中本山 )
北畠の武将、小倭の城主 新長門守が真盛上人の説法を聞き感激し 戦死した息子のために建立した。息子の経成の為の願い寺と言う意味で成願寺と名付けた。
宝物殿には国指定重要文化財 阿弥陀如来椅像が安置されている。
三重県津市白山町上ノ村1361
常福寺
創建は平安時代、静かなたたずまいの中に、地元の方々によりきれいに整備されている。
別所の観音さんの名で知られる。本尊の木造千手観音立像は国の重要文化財に指定されている。
三重県津市白山町八対野1819

初瀬街道・亀ヶ広の桜並木
白山町の桜の名所・初瀬街道を歩くと笠着地蔵に至る手前に約500m程桜の老木がある。
桜のシーズン以外でもまっすぐな道に覆うように枝が張り美しい光景を見せてくれる。
三重県津市白山町二本木
関の宮
聖武天皇が伊勢神宮参拝のため多くの家来と共にこの地で10日ほど過ごした。
万葉集や源氏物語などにも地名が登場する。
河口頓宮ともいう。平安時代の斎王群行の道筋でもあった。
三重県津市白山町川口4836
こぶ湯
家城神社の側を流れる川の畔に古来よりこんこんとわき出ている温泉がある。
この水を求めて、多くの人が訪れる。
三重県津市白山町南家城

初瀬街道・垣内宿
青山峠を越えると垣内宿にはいる。屋号を染め抜いたのれんが掲げられている。
当時は多くの旅人が宿泊した。
三重県津市白山町垣内

水晶製舎利塔(高田廃寺跡)
明治40年代まであった「十三重の石塔」の下から発見された。 高さ4.1p水晶製、鎌倉時代の作、県指定文化財。 「十三重の石塔」は、現在大阪のお寺にある。
瀬古集会所:三重県津市白山町川口2022-1

十一面観音立像(高田廃寺跡)
国指定重要文化財。像高47.2p。左足の膝を軽く曲げ踵を高く上げ今にも 歩き出そうとする姿は珍しい。カヤの木の一木造り、安時代の作。 毎年一月、八月の十七日夜にご開帳。「たかだちのかんのんさん」とも呼ばれている。
瀬古集会所:三重県津市白山町川口2022-1

藤原千方胴塚(宝蔵寺)
金鬼、水鬼、風鬼、隠形鬼を従えていた千方は、千方将軍として恐れられていた。 朝廷に反乱を起こしたが、朝廷軍の大将、紀友雄は「草も木も わが大君の国なれば  いづくか鬼の すみかなるべき」と、四鬼に降伏を勧める歌をおくった。 鬼達はこの歌で、自分たちの行いのあやまりに気付き逃げ去った。 千方を瀬戸が淵におびき出した紀友雄は、だまし討ちにして千方の首をはねた。 その胴が宝蔵寺付近に流れ着いた。人々が、ここに胴塚を立て祀ったという。
三重県津市白山町川口7968の近く

紀貫之の墓
紀貫之は「百人一首」でも有名な、平安時代の歌人(三十六歌仙のひとり)。 延喜5年(905)醍醐天皇の命により初の勅撰和歌集である『古今和歌集』の撰者。
近鉄榊原温泉口駅近くのJA裏に祀られている。
三重県津市白山町佐田553(JA三重中央みやま支店)


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