巨樹(きょじゅ)とは、極めて大きい樹木のこと。巨木(きょぼく)、大木(たいぼく)、大樹(たいじゅ)などともいう。
高さより太さに主眼が置かれる。木の測り方は統一されていない。環境省の巨樹調査での調査木は地上から約130cmの位置
での幹周が300cm以上の木を対象としている。名木とは、立派な木、由緒のある名高い木をいう。
河芸中央公民館の中庭に、昭和58年(1983)に岐阜県根尾村から送られた薄墨桜がある。
薄墨桜の品種は「エドヒガン」で、樹皮には縦にひびが入り幹の下のほうに良く見られる。
ガク筒が丸くふくれているのが一番の特徴で、がくや花柄には細かい毛が沢山生えている。
また長寿で、そのため発芽してから花が咲くまでに時間がかかり、樹高が10m程度に育って初めて花をつけ、
場合によっては発芽から開花までに数十年かかる場合もある。※「薄墨桜」は、美杉町竹原にもある。 |
津市芸濃町「椋本の大ムク」 | 「国指定天然記念物」「新日本名木百選」 |
この大きな「ムクノキ」太さ9.5m(環境省調査)、現地の案内板には8mとある。高さは約18m、樹齢1500年以上。
昭和9年に国の天然記念物に指定。 昭和63年に環境庁が行った「緑の国勢調査」では ムクノキでは全国2位の太さで、幹周囲9.5mだったが、
今計ると。幹周囲809cm、樹高16m。石柱枠の中にあり、太いしめ縄をつける椋本神社の御神木。平成2年6月2日に「新日本名木百選」に選ばれる。
伝説では、奈良時代から平安時代初期の武将・坂上田村麻呂の家来・野添大膳は都を追われ、息子とともに流浪の末、この木の下で暮らした。
源平の動乱の世には、平家の落人・花木太右衛門らがこの大樹の傍に安住の地を得た。また、滝川一益が織田信長に従って北伊勢を攻めた時、
北畠の臣・野呂民部之輔はこの大ムクに隠れて助かったなど。環境省が実施した巨樹・巨木林フォローアップ調査では、
兵庫県佐用町の「三日月の大ムク9.9m」に次いで、全国第2位の大きさとなっている。 |
「椋本の大ムク」から椋本宿への細い坂道の脇、光月寺(こげつじ)の南の崖にある。
幹周囲3.9m、樹高17m、樹齢不明。高さ11mのところで雷に打たれ上の方は折れて無くなっているが、
県内一の太さという。クロガネモチは、語感から「苦労して金持ち」に通じるとして、縁起の良い木として庭木などに
用いられる。 左の写真の右奥がクロガネモチで左がタブノキ、右写真はクロガネモチの根もと。 |
「津市芸濃町」長徳寺の龍王桜 | 「県指定天然記念物」 |
樹高3mの低木で、盃状の樹形。この龍王桜はの品種は「フゲンザクラ」または「フゲンソウ」という。花と葉が同時に出る珍しい種類で、
4月中旬に開花する。三重県の天然記念物に指定されている。
長徳寺の前の「門前ヶ淵」に住んでいた龍が天に昇るときに、鱗とともに残した桜の種から育ったという。 |
櫛形小学校正門前への登り道の脇に、幹周囲3.3m、樹高24.5mの県内最大のダイオウショウ(大王松)がある。
マツ属の中でもっとも長い葉を持つ、北アメリカの東南部が原産地であり、樹高は40mを越えるというが、
日本ではその半分程度にしかならない。球果(マツカサ)は長さ15〜25cmと大きく多くつける。
アメリカ合衆国東南部に分布。分布地の年間平均気温は16度から23度、同降水量は1,100mmから1,800mm程度。
櫛形小学校は大正14年に新校舎を建てて移転した時、在校生が家からいろいろな苗木を持ち寄り植えたという。
また庄屋が昭和12年頃に学校の講堂を寄付した時、その記念にこのダイオウショウも寄付したともいわれている。 |
国道23号三重会館前交差点から県道42号を津ICの方へ750m程行ったところの歩道にある。
幹の周囲は約4.8m、樹齢400年とも言われる巨木で、市民から「監物イチョウ」と親しまれている。
江戸時代このあたりは、津藩藤堂家の重臣・藤堂監物の屋敷があり、このイチョウはその庭に生えていた。
明治3年の藩政改革で、新軍隊が編成された時、不満を持った旧軍隊の人たちを代表して藤堂監物が政府に意見書を提出したため、
津城下は大騒ぎになった。その意見は受け入れられず。監物は騒動の責任をとって27歳の若さで切腹し亡くなった。
道路を拡張する際にもこの木を避けて新しい道路が造られた。 |
伊勢街道沿いにある市杵島姫神社祭神は市杵島姫。南朝の重鎮であった北畠氏一族の守護神として北畠氏滅亡まで、
津市美杉町多気の城内に祀られていた。北畠親房、顕家、顕能と大変崇敬心厚く、その心は代々家臣に至るまで
受け継がれ、その後この地の産土神になった。境内のイチョウの木の幹回りは4mあり、樹齢が四百年とも五百年ともいわれ
御神木とされている。昭和二十年の津空襲の時、この木からもうもうと湯気が立ちのぼり、神殿をつつみこんで焼失を防いだ。風も向きを
かえ火の手を止めたといわれている。イチョウのように水分の多い樹木としてはムクゲ、サンゴジュ、アオキ、モクレン、キリなどがあり、
含油率の少ない樹木としてはアオキ、イヌマキ、サンゴジュなどがある。これらの樹木は防火能力の大きな樹種と知られていて
「火伏(ひぶせ)の木」といわれている。 |
津市香良洲町「香良洲の松林」 | 「津市指定名勝、伊勢の海・県立自然公園」 |
雲出川は河口近くで雲出古川と本流の二つに分かれ三角の中州をつくる。三角州全域が香良洲町で、
その南東端に香良洲公園がある。総面積は4.5ヘクタール。白砂の海岸部と、クロマツの明るい樹林とから成り、
いくつにも分かれた散策路が公園内を巡る。江戸時代に防風、防潮用に植えられた松が残っていて県内有数の
海岸松林だと言われている。平成4年に津市指定名勝に指定された。ここは県内一とされるクロマツ純林がある。
最大と思われるクロマツは幹周囲3.5m樹高17mもある大きさ。
明治40年の「三重県案内」でも「風光絶好にして明石にゆずらず伊勢湾風景第一の地」と紹介された。
戦時中は近くに「三重海軍航空隊」があった。
大同2年(807)東北に向かう途中の征夷大将軍・大伴弟麻呂(おおとものおとまろ)は、戦勝を祈願して
神宮に参拝するが、台風で一時香良洲浦に避難。この時、地元の香良媛が舞楽でもてなした。
将軍はかぶら矢を立てて再会を約束して出発した。矢を立てたところが野原だったので、香良洲町の旧村名が
「矢野村」になったという。更に将軍が馬をつないだマツがあり、これを「駒(こまつなぎ)松」という。
海岸にあったが、宝永4年(1707)の富士山の噴火にともなう地震津波で根が洗われ、寛延4年(1751)頃枯死した。
その後、里人は復活すべく「大伴弟麻呂駒松」を指定している。 |
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津市雲出島貫町「円福寺のソテツ」 | 「市指定天然記念物」 |
真宗高田派寿光山円福寺本堂前に、樹齢400年以上といわれる十数株のソテツがある。昭和40年に津市の天然記念物に指定された。
ここは旧伊勢街道が雲出川に突き当たる手前の雲出島貫(くもずしまぬき)で、江戸時代は雲出川の渡しがあり、宿場ができ大いに栄えた。
ソテツは、雌雄異株、種子は11月〜12月に朱赤色に熟す。成長がとても遅く大きいものは樹齢400年以上と推定され、 根幹の周囲は1.8mもある。 |
樹齢300年以上、高さ約15m、幹回り4.5mのヨノミの木。何百年もの間、世の中の移り変わりを見つめてきた
ということで「世の見の木」といわれる。「ヨノミの木」は榎(えのき)の別名。大正10年から昭和18年まで、
この場所に「中勢鉄道」の石橋駅があった。当時、この駅では乗客のほか貨物も運ばれていた。夏には格好の木陰を提供して
いた。平成24年6月の台風で大きな枝が折れ、バランスが崩れ倒れてしまう危険性があったことから、
「よのみの木保護事業」が行われている。 |
天台真盛宗・成福寺の前に雲出川が流れる。これより約1kmあまり上流には「笠着地蔵」がある。
真盛上人(しんせいしょうにん)が宝珠丸(ほうじゅまる)といった子供の頃、川に投げ込まれ笠に乗って漂着したところである。
天台真盛宗の開祖「真盛上人」は、この「笠着地蔵」の近くの誕生寺が誕生の地であるが、この下流の成福寺には
真盛上人慈父母菩提所があり、真盛上人の五輪塔、真盛上人の石碑と叔母の盛善比丘尼(せいぜんびくに)の石碑がある。
この三つの碑の真後ろには、半分石垣に埋まった大きなイスノキがある。その大きさは地上から50cmの幹周囲が3.3m、
樹高10m、地上1m付近より5株に分かれる。多くの枝で枯れが目立ち弱っている。そのせいかフシアブラムシ類の虫こぶは少ない。
地元では真盛上人が亡くなった頃に、この碑が造られ、イスノキも植えられたので、樹齢は500年としている。
地元の人は、このイスノキをヒョンノキとかヒョウノキと呼ぶ。枯れた実に虫の出た穴があり、吹くとヒューヒューと音が出る
ことからそう呼ばれる。 |
古くから「中宮(ちゅうぐう)さん」といわれ、明治の合祀までは矢頭神社であった。現在矢頭中宮公園となっており、
ログハウス2棟、テント10張り分のスペースのあるキャンプ場である。神社境内だったため、今も巨木が多く残る。
「矢頭の大杉」といわれるスギは、樹齢約1300年、幹周囲約9m、樹高約40m、昭和28年に「県天然記念物」。
平成元年には「みえ新名木10選」に選ばれた。旧境内には幹直径1m以上のスギが約30本ある。
この旧矢頭神社の後ろにひかえる矢頭山は霊山であった。修験道の祖・役小角が開いたといわれる。ある晴れた日、
小角が天を眺めていると、白羽の矢が二本飛んできて、峰をかすめ麓の郷に下りたという。そこで、この山を「矢頭山」
と名付け蔵王権現を祀った。矢の落ちたところを「矢下(やおろし)」といった。この地名は両者とも現存する。 |
榊原温泉のシンボル桜の糸桜(いとざくら)は神湯館玄関横にある樹齢100年といわれるしだれ桜。
明治時代の終わりころ、道を広げる工事ため取り払われてしまったが、その子供の木が、毎年枝もたわわに美しい花を咲かせる。
北畠国永(天正4年(1576)歿?)の和歌に「春風も散らさぬほどの庭の面に乱れて匂う糸桜かな」と詠まれている。 |
射山神社の森には7本の古いイチイガシがある。うち一本はしめ縄を付けた神木で、「宮の湯」の由緒書のうしろの林にある。
その幹周囲は3.6m、樹高22m。イチイガシは縄文・弥生時代には伊勢平野では最も栄えた木とされるが、現在、旧久居市では、
射山神社と七栗神社の2ヵ所にしかない貴重な木である。イチイガシ(一位樫)は、ブナ科コナラ属に属し、わが国では関東地方以南の
本州太平洋岸・四国・九州に分布する常緑高木。カシ類の中でも材質が良いので一位の名がついたという説がある。イチイガシは、
常緑性のシラカシ、アラカシ、アカガシ、ウラジロガシと同じ仲間で、材が固いため非常に有用な樹木です。 |
白山比盗_社本殿の裏側の斜面にオガタマノキが5本ある。最大の木は地上から30cmの幹周囲が2.5mある。
オガタマノキは三重県南部には時々見られるが、この付近では植栽木以外の野生は見られない。
この神社のオガタマノキは、ほぼ5本が近寄って生育する。普通、オガタマノキは「招魂の木」といって神社によく植えられるが、
ここの木は、野生とも考えられ、そうなると三重県の北限の木となる。また、本殿前側にはネズがある。神社の森には、
付近にあまり見られないイチイガシ、ヤマモガシ、ルリミノキ、ツルコウジ、タイミンタチバナ、ミミズバイ等が生えている。 |
津市美杉町竹原にある「淡墨桜」は、岐阜県本巣市根尾谷の淡墨桜の子孫が植えらた。一本が青い山をバックに綺麗に咲く。
薄墨桜は、つぼみの状態ではピンク、満開では白、散り際には淡い墨色にと 3度も楽しめる桜で、エドヒガンという早咲きの品種。
樹高は30mを超える高木で樹形は傘上。一重咲きの小輪の花を咲かせ花色は淡紅色。葉は楕円形で長辺が5-10cm。
花柱基部、小花柄、葉柄などに毛が多く、がく筒が丸く膨らむつぼ形である。花期は名前の通り春の彼岸ごろの3月中旬でソメイヨシノより早い。
葉が展開するより先に大量の小輪の花が咲くため見栄えが華やかであることが特徴であり、また、成長は遅いが幹が堅く雪害や風害に強く腐りにくいためか、
サクラの中では最も長寿であり巨樹に育ちやすいのも大きな特徴である。 |
長楽寺の前庭広場と西側の墓地との境目に、幹周囲3.5m樹高19mのカヤがある。この木には寺には珍しくしめ縄が巻かれている。
この寺には大海人皇子にまつわる伝説がある。壬申の乱の前年の671年、大海人皇子が大津の宮で髪をおろし、吉野隠退に向かう。
吉野に向う途中、神末(こうずえ 現 奈良県御杖村)で近江朝廷軍に襲われる。この時、居合わせた木こりの機転で、丸木で作っていた
水槽に隠れて難を逃れる。その後、大海人皇子は追手をあざむき逆の伊勢に向かう。この八知の地に来た時、空腹と疲れのため草むらで、
倒れているところを東七という百姓に助けられ、介抱をうけ元気を取り戻す。のち、壬申の乱に勝利した大海人皇子は、天武天皇に即位するが、
この助けられた論功行賞により、神末に薬師寺を贈り、八知には七堂伽藍をそなえた長楽寺を贈ったという。後、この寺は信長の兵火にあって消滅。
この時の火事で焼け焦げた後遺症が、大正時代までこのカヤノキに残っていたと伝わる。 |
津市美杉町「東平寺のシイノキ樹叢」 | 「県指定天然記念物」 |
寺境内に、列状にスダジイの幹回りが4〜6m、高さ10mを超える古い木が6本ある。樹齢は400年とも450年とも言われている。
昭和53年に「東平寺のシイノキ樹叢」として県の天然記念物になった。
古木の根元には多くの石仏があり、五輪塔数基は、北畠の家臣の墓と伝えられている。 |
正念寺山門は鐘が備わった豪華なもの。その重厚な山門にふさわしい県内有数の太さのヤマザクラがあった。山門を入った左隣にあり、
幹周囲4.2m樹高16m。寺は約350年前、和歌山から曹洞宗を広めにきた僧が人々に請われ、本堂を建立したという。
本尊は聖観音、小堂には弥勒菩薩が祀られる。寺の前の道はかつての「伊勢本街道」で歴史の道である。 |
雲出川と淀川の分水する室生火山群随一の麗峰大洞山の優雅な曲線美をバッグに蔵王権現の歴史的雰囲気が織なして
「桃源の夢」をしのばせる。国道368号から真福院を結ぶ1.5kmの参道の両脇にはヤマザクラの古木が列をなす。
桜並木は国の名勝に指定され、「日本さくら名所100選」「新日本街路樹100景」にも選定されている。
花見シーズンには桜まつりが行われる他、ライトアップもあり夜桜も楽しめる。桜の並木道が続く景色や、
桜が棚田に映りこむ光景、山桜と茅葺き屋根の風景が美しく花見客や写真愛好家が多く訪れる。 |
津市美杉町「真福院のケヤキと杉」 | 「ケヤキは県指定天然記念物」 |
桜並木を抜け、急な参道の石段を登り終えると真福院山門ある。その石段の両側には巨大なスギとケヤキがある。
一番太いスギは幹周囲6.7mある。ケヤキは幹周囲6.5m、樹高35mあり、「真福院のケヤキ」として昭和15年に県の天然記念物に指定された。
昭和55年に三重県で開かれた「全国植樹祭の手播き行事」で使われた皇后陛下のお手播き種子は、このケヤキ等から採取された。
この寺は伊勢国司北畠氏の祈願所であったので、その威光にあやかろうと、各地から参詣の人が訪れ、そのとき願掛けのしるしとして、
各地からサクラ苗を持参したという。そのため桜並木のサクラはヤマザクラではあるが、各個体は微妙に違うという。 |
津市美杉町「国津神社のケヤキ」 | 「県指定天然記念物」 |
太郎生・国津神社の本殿下広場には、昭和15年に県天然記念物になったケヤキがあり、2幹立ちで幹周囲は7.9mと4mで、
地際50cm上の幹周囲は13.5mで樹高28.5m。太い幹の方はかなり以前の台風で縦に亀裂ができたため、2カ所をワイヤーロープで
縛っている。樹齢が1000年といわれるだけあって、この木にまつわる言い伝えも多い。このケヤキの周りを、願い事を唱えて
百遍まわると願い事かなうといい、この幹に東側から、そっと耳を当てると、楽しい笑い声や歌声が聞こえてくるといわれ、
これを聞いた人は、願い事がかなうという。また、本殿左前には空洞の目立つ幹周囲3.2mのカゴノキの大木もある。 |
津市美杉町「日神不動院のオハツキイチョウ」 | 「県指定天然記念物」 |
日神(ひかわ)は、平家の落人の隠れ里といわれる。日神不動院(日神山不動院仲善寺)のお堂の前に、幹周囲約4m、樹高25mの
太いイチョウの木があり、平成12年に三重県の天然記念物に指定された。イチョウの雌株で、独立樹。一部の実が葉にできることから
オハツキイチョウと呼ばれる。葉の上に実を付けるのは、葉に胞子を付けるシダに近く、進化していない植物の証拠といわれる。
全国に20本ほどしか見つかってない貴重なイチョウの木です。 |
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