MapFan 安西橋
  溝淵寺
創建は中世に遡ると考えられている。溝淵大明神の社務を司る宮寺で 神号をそのまま寺号とし、神仏習合の跡を残している。明治25年2月 三世鉄道恵輪尼のとき、旧坂下宿大竹本陣客室の一部を移転して仮本堂を再興。 境内東南の一角に顎が少し欠けた地蔵像を刻んだ同尼の墓石があり、 その光背には「はのいたむ人はみなたのめ なをるあごなしの地蔵」と刻まれている。 また、境内入口の石造地蔵は田から掘り出されたもの。
  美濃夜神社
古い神社で保存されている棟札は平安時代末期のものを含め32枚あり県の文化財に指定されている。 律令制度が整えられた頃、条里制といわれる水田を区画化する整備が行なわれ、ちょうど雲林院と 忍田のあたりが安濃郡の条里の最終区画にあたり、その水源の神様として美濃夜神社が祀られたようです。 古くは溝淵大明神と称したが、文化年間(1804〜1818)、美濃夜神社溝淵大明神と神号を重複、 明治になり、式内美濃夜神社と単称されるようになった。
  紅葉の忍田橋
透明な水と光が織りなす美しい河内渓谷。春は桜がほころび、初夏の新緑、秋は紅葉が辺りを染める。 この渓谷に架かる忍田橋は、昭和11年(1936)に架橋された延長約18メートル、幅4メートルの コンクリート造りのアーチ橋。
  長徳寺
曹洞宗の寺院で雲林院家の菩提寺として創建。嘉吉二年(1442)の古位牌があり、 これ以前の草創と思われる。剣豪「塚原卜伝」の寿牌や、婦人像等に室町末期を下らない 特色がある涅槃像一幅がある。門前が淵に住んでいた龍が鱗と桜の種を残していった との伝説があり、桜の種は堂前にある県指定天然記念物の龍王桜となり、 鱗はそれを持って錫杖が岳に登り雨乞いをしていた。
  龍王桜
株周りから細い2本の幹が盃状に広がって枝を張り、樹高は3m、枝張りは5.5mで、 樹形は比較的短歪である。この桜は室町時代から知られている古い品種でフゲンゾウと呼ばれ、 山桜やソメイヨシノより遅れて開花する。フゲンゾウの名は「普賢象」で、 普賢菩薩の乗った白象の鼻を花にたとえ、葉化した雌しべの先に残っている2本の花柱をキバに見立てて、 鼻より先に歯が出るというこの桜の特色を表したものと言われている。
  砥ぎ石
長徳寺門前の林の中に、長さ3m、高さ1.5mの巨岩がある。この巨岩のところどころに、 浅くちょうど刃物を研いだようなくぼんだ痕跡がある。室町時代終わりころ、 「大和手掻(やまとてがい)」からの刀工が雲林院の城下に住んでいた。刀工が最後の仕上げ 「真砥開け(まどあけ)」という最終工程に使用した痕という伝承がある。 また三体の地蔵像も彫りつけられている。
  エントランス園地
安濃ダムのダム湖「錫杖湖」を一周できる道路があり、ところどころに公園や見晴らし台がある。 エントランス園地はその一つ。駐車場や東屋があり遠く錫杖ヶ岳を望み、湖面を眺めながら静かなひと時を お過ごしください。駐車場に車を置いてハイキング、湖畔をひとめぐりできます。約5km。
  紙屋観音
大きな石に2体の像が刻まれている。向かって右が「弁財天」左が「馬頭観音」である。 「寛文七丁未年九月吉日 弁財天」そして願主の名が彫られている。これは、 慶安三年(1650)の大災害による被災者の17回忌の冥福を祈って造られたもの。 錫杖湖水面下の旧道路沿いの大きな石に刻まれていたがダム工事で水没するため、 切りとり現在位置に祀られた。
  錫杖湖水荘
湖のほとりに建てられている。レストラン・宿泊施設・会議室・研修室があり、 周辺にはレクリエーションやスポーツに最適な施設が充実している。 遊び疲れた後、のんびりと水辺の風景を眺めながら、体を休めるのに最適。 レストラン湖水では、四季折々の食材を使ったミニ懐石や月替わりメニューの「錫杖御膳」、 「平家御膳」、津ぎょうざなどメニューも豊富。
  ふれあい公園
錫杖湖水荘のそばの小山が公園となっている。頂上からは、錫杖湖や周囲の山々が見渡せる。 テニスコート(有料)があり、60mのローラーすべり台は迫力満点の人気施設。 自然の中で体を動かして、爽快な気分を味わえます。
  岩間山成覚寺
真宗高田派の寺院。小松三位中将平維盛が念持佛(釈迦三尊佛)をご本尊として創建。 天正15年(1587)に真宗高田派第十二世尭慧上人に帰依し禅宗から高田派の末寺となる。 平維盛は屋島の戦を離脱し高野山に登り出家、その後、和歌山県の那智の海に偽装入水自殺を行い、 当地に31人の家来と共に隠れ住んでいた。釈迦三尊佛は伝教大師作と伝えられ、 平維盛の木像や古文書が伝えられている。また、本堂裏には平維盛の墓もある。
  上の仁王経碑(写真左:仁王経碑、右:駒越翁彰功碑)
椋本宿西の入口にある。文化2年(1805)に建立された自然石の碑。疾病流行の治除が目的で、 仁王経上巻6583字、同下巻5608字を小石に1字ずつ書写し、これを2部、都合24382個の 小石に浄書し、これを1部づつ村の西(上)と東(下)の碑の下に埋めた。 上と下の仁王経碑の文字は同筆で、上の碑は深く彫られ、下の碑は浅く輪郭線のみ刻まれている。 これは、阿吽(あうん)を表している。
  横山池
横山池は文久二年(1862)、駒越五良八翁が二万両の私財を投じて着工し、 慶応二年(1866)に竣工。安濃川上流から4kmほど水路を造り導水し、この辺り 二百町歩の灌漑が可能になった。堤防下の仁王経碑と並び横山池・駒越翁彰功碑がある。
  楠原の町並み
伊勢別街道の宿駅で、椋本宿の補助的な宿場。江戸期には問屋場や高札場が置かれた。 町並みはゆるい坂道の両側に40軒ほどの格子家が続く、集落の中程には防火のため道が直角に2度曲げてある。 江戸期の建物は少ないが、新しい建物も景観に会わせ平入りの木造建築とし景観を守っている。
  石山観音公園
石山観音はパワースポット。標高約160m石山の岩肌に、地蔵菩薩・聖観音・阿弥陀如来・西国三十三所観音など約40体の 仏像が半肉彫りに刻まれている。公園入口の第一番如意輪観音の半跏像を起点として山を右回りに まわる順路が設けられ、これに沿って30分ほどで三十三観音を巡拝できるようになっている。
  関ドライブイン
名阪国道関インターに隣接し、三重県内の銘菓・名物や特産物が揃う。 レストランには松阪牛、伊勢うどん、てこねすし、とんかつ。売店には、あなご寿司、 養肝漬、伊勢海老豆腐、ちくわやてんぷら、赤福、志ら玉などが、またオリジナル賞品も豊富。 焼きたてパンの店や津ギョーザもある。
年中無休8:00〜20:00(冬場は19:00まで)
  有機栽培茶農家
1993年から化学的に合成された農薬・肥料を使わず、有機栽培に取り組ん でいる。2000年には有機JASの認定も取得。人里はなれた茶畑は、周りに他 の畑もなく、有機栽培に適していて、一年を通して手間を惜しまず、肥料を 置き、草を取り、お茶の様子をうかがいながら作業をしている。お茶は摘み 取ってから洗ったり、皮をむくといった事ができないからだそうです。 竹尾茶業
  閑翁寺
天台真盛宗長唱山閑翁寺。平安後期創建の普門寺の塔頭寺院の一院であった。 天正二年(1574)年、滝川一益の兵火により全焼。江戸寛延期に月光上人により再建。 亀山城奥の院書院が移築されている。
  さくらの名所普門寺
大同元年(806)に、伝教大師・最澄の開基によるものと伝えられている。 総高306センチの大日如来ほか3メートルほどの五体の仏像が小さな 本堂に林立している。天正2年(1574)に織田信長の家臣・滝川一益に焼 かれ消失し、享保5年(1720)観音寺を普門寺と改めて再建。境内は桜の 名所、幽霊の片袖の伝説がある。
登録有形文化財 旧明村役場
大正5年(1916)に役場庁舎として建設された。階下を事務室、 階上が議場として使用されていた。木造総2階建、桟瓦葺(さんかわら ぶき)、東西棟の寄棟造で附属棟が付く。洋風デザインで、明治期と大正期 の様相を融合させた。角地の立地を生かして角部に玄関ポーチを張り出して 玄関部分を強調した特色ある立面構成となっている。
安濃鉄道終点の地
安濃鉄道は、津とその西部の農村を結ぶ軽便鉄道で、林の林宗右衛門・原重次郎ら 郡内の有志が中心となり、大正3年津市八町二丁目〜椋本間が開通し、 翌年には、林までの約14キロを1時間半で結んだ。
  栄昇軒 TEL:059-265-2141 FAX:059-265-4190
野添の猪(いのしし最中)、赤飯饅頭でおなじみの栄昇軒。地元産の材料を使い、 美味しくて安全なお菓子、季節ごとのお菓子を、材料にもこだわりをもって作る和菓子屋さんです。
  椋本宿
伊勢別街道の宿場町として栄えた町。街道は防火のため何度も折れ曲がり、 道幅は広くなっている。多くの参詣客で賑わった最盛期の椋本宿には、 約20軒の旅籠や茶屋、問屋場が置かれていた。 街道筋に、今も旅籠であった建物や旧家に、その遺構を見ることができる。
  旧角屋旅館 TEL:059-265-2001
江戸時代から平成25年末まで旅館を営んでいた。伊勢別街道講札博物館という 「まちかど博物館」になっている。 江戸中期に建てられた2階建てで、伊勢講の講札を掲げた玄関は 往時の雰囲気を残す。間口5間の大きな旅篭で、庶民向けだった。 見学は予約が必要。
  道標
椋本の中心、三叉路の角に自然石の道標と木製の標柱がある。 道標には「左さんくう道」右側面に小さく「右榊原」とある。江戸時代後期のものと思われる。 木製標柱(道路里程標)は、「津市元標へ三里三拾三丁八間」「関町元標へ弐里五丁五拾壱間」 「大里村大字窪田へ弐里弐丁五間」と記されている。これは、明治時代に道路の起点・終点・分岐点など、 知事の定める位置に設置されたもので、明治43年(1910)7月に建てられた。(現在の木製標柱は二代目)
  巴屋製菓舗 TEL:059-265-2010
伊勢別街道の椋本宿に、創業して約110年の老舗。
地元の名所「椋の樹」を形どったあっさりした味わいの 椋の樹もなか、羊羹や和菓子などがあります。
  椋の樹
高さ18m、幹回り8mの椋の木、1200年前にはすでに9m程の太さがあったと伝えられ、 国の天然記念物に指定されている。9世紀、坂上田村麻呂の家来「野添大膳」親子が樹の下に 庵を造って住んだ。これがこの地に村が出来た最初と伝わり、椋本の地名の元となった。 明治3年の暴風雨で折れた大枝で椋本神社の神官が獅子頭を造り奉納、以来、3年に一度の 正月にはこの獅子頭が豊穣や町の安全を願い舞われる。(丑・辰・未・戌の年)

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