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芸濃支所の桜 津市芸濃総合支所の敷地内に古木の桜が10本程あります。ここには椋本中学校があり、 そのグランドのまわりに桜の木が沢山植えられていました。その桜の木が まだ元気よく花を咲かせてくれています。昭和40年(1965)に椋本中学校は芸濃中学校に。 |
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安濃鉄道線路跡道路 芸濃総合支所から南に少し行くと自動車整備工場の裏手に道路があります。この道路が安濃鉄道の線路跡です。 鉄道線路は、津市八町まで続いていましたが、道路はこの先の萩野駅跡までの約1.7km続きます。 |
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松山遺跡と松山古墳 線路跡道路から田畑の中の道路を進と左手が「松山遺跡」、現在は埋め戻しされていますが、この地面の下には 平安時代から室町時代に人々が暮らしたあとがあります。。 |
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六十六部供養塔 明治時代まで、伊勢の国・伊賀の国というように、全国に66の国があり、修行者が「法華経」を66部書写し、 全国六十六か所の霊場を巡回して奉納した。その修行者を六十六部という。旅の途中で亡くなった修行者を供養する ため明治元年に建てられた。 |
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双体地蔵 1つの石に2体のお地蔵様が刻まれている。主に村の境や辻に祀られた。主に長野県や関東周辺に分布し、 疫病の侵入を防ぐ「塞の神」や、縁結び・夫婦和合・子孫繁栄の「双体道祖神」として親しまれている。 沢山の石仏が祀られていて、その中に双体地蔵も祀られている。 |
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安西神社とかんこ踊り 元は須賀神社であった。明治42年に安西村の6社がここに合祀され、安西神社となった。 津市指定無形民族文化財の「萩野かんこ踊り」が10月15日に舞われていたが、後継者不足で 現在は行われていない。 |
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宮谷古墳 安西神社本殿の西側に土塁のように小高くなっている。これは宮谷1号墳と2号墳である。 1号墳は径約20m、高さ約2mの円墳である。2号墳は1号墳の南に接するようにあり、 一段低い部分にある。両墳とも内部は不明。近くに大屋垣内古墳群・東山古墳群がある。 |
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萩野城跡 応永年間(1394-1428)に北畠氏の臣萩野弥左衛門がいた所とされ、650坪で周囲に石塁がめぐらして いたとされるがそのような遺構は見つかっていない。近くに岡本城もある。 |
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運福寺 大正3年から昭和19年まで、津の新町から林まで蒸気機関車やガソリンカーが 53分で走っていた。町内には6つの駅があった。 |
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安濃鉄道 大正3年から昭和19年まで、津の新町から林まで蒸気機関車やガソリンカーが 53分で走っていた。町内には6つの駅があった。 |
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安濃鉄道 大正3年から昭和19年まで、津の新町から林まで蒸気機関車やガソリンカーが 53分で走っていた。町内には6つの駅があった。 |
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安濃鉄道 大正3年から昭和19年まで、津の新町から林まで蒸気機関車やガソリンカーが 53分で走っていた。町内には6つの駅があった。 |
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安濃鉄道 大正3年から昭和19年まで、津の新町から林まで蒸気機関車やガソリンカーが 53分で走っていた。町内には6つの駅があった。 |
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安濃鉄道線路跡 萩野から椋本にかけて、幅の狭い軽便鉄道の線路跡が今も生活道路として 残っている。 |