それは随分暗くて冷たくて苦しい世界に、
確かに見えた光だった。
その光も最初は弱々しくて、鋭く冷たいものだったけど。

それでもオレには救いだった。





『Reach out of the darkness.』










オレの世界にはリアルがなかった。

そこは狭い箱庭で、誰もが愛想笑いを浮かべていた。
愛想笑いの内容といえば、結局はオレが一応曲がりなりにも王位継承権第一位を持っているからで、それはオレ個人に向けられたものじゃない。
要するに、親父に対して、もっと言えば国に対して笑ってるんだ。
いつかオレが王になったときのために。

しかもその愛想笑いはどこへでも振りまかれていて、本当は弟のほうが優勢だなんてことは、もうずっと前から分かりきってる。
結局は、保険だ。
もしかしたら、なんてことはいつでもどこでも起こりうる。


だから。


この狭い箱庭で、オレはオレの振る舞いたいように振舞う。
ここではオレが王様で、やってくるやつは皆道化師だ。
どう扱ってもいい、おもちゃだ。
大人がオレを保身に使うのに、オレが大人をおもちゃにしちゃいけないなんてことはないだろう?


「誰も見向きしないからいたずらをなさるんだわ、おかわいそうに」


おかわいそうなのはお前の頭だ。
オレはわかってやってるんだ。







世界の変化っていうのはいつも唐突で、大体心構えなんて全く出来てないときにやってくる。


「教育係ィ〜?」
「そうです」
澄ました顔で男は答える。黒髪のがっしりしたその男は、コレまでこの箱庭にやってきたどの大人よりも堂々としていた。
コレは適当ないたずら程度では追い払えない。
直感でそう思う。
わがままで振り回す?
効くだろうか。
目の前の堂々とした男を見ていると、何をしても無駄だという気持ちが湧き上がってくる。
こういう大人を見るのはコレが初めてだった。
だから、どうしていいのか分からなくてただひたすら無言をつらぬいた。
何を言われても無視。口を尖らせて頬を膨らませ、ともかく全身で嫌だという気持ちをアピールしていたら、男は困ったように笑うと一度部屋を出て行った。

勝った。


そう思ったのもつかの間、今度は随分間抜けそうな子どもが入ってきた。
歳はそんなにオレと変わらないだろう。少し向こうのほうが小柄だから、多分年下だ。
そういえば、さっきも来てたな。すげー馬鹿だったヤツだ。
「何だ。またお前か? やっぱり子分になりたくて戻って来たのか?」
声をかけると、そいつは頷いた。
「うん。子分って、お友達でしょ? ヘンリー君、一緒に遊ぼう?」
正直、ずっこけるかと思った。
馬鹿なのにも程がある。
「子分と友達はちょっと違うが、まあいいや。そんなに言うなら、オレの子分にしてやろう。となりの部屋の宝箱に子分のしるしがあるから、それを取ってこい! そうしたらお前を子分と認めるぞっ」
オレがにやりと笑うと、そいつはにっこりと笑ってまた頷いた。
「うん、わかったー。待っててね、ヘンリー君」
そういってぱたぱたと足音を立てて奥の部屋へ走っていく。


退屈でウソばっかりのオレの平穏は、ここで終わった。


オレが生きているのは狭い箱庭。
箱庭の中ではオレが一番偉いけど、実際は箱庭は外で持っているやつの気まぐれで中身をかえられる。
箱の中身が気に食わなくて、ひっくり返せば何もかもなくなる。


オレはそれに気づいてなかった。


道化なのはどっちだ。





暗くて、寒くて、じめじめしてて、苦しかった。
世界は灰色で、確かにどこかに繋がっているはずなのに、そこは格子があって断絶された場所だった。
ただただ、時間が過ぎていく。

オレがどうして

オレが何を

オレが……


それが本当に感じていたほどの長さだったのかどうか、今となっては分からない。

「あ、ヘンリー君だ」

世界に色をつけたのは、そんな間の抜けた声だった。それに今度は大人の声が続く。
「! ヘンリー王子!」
振り返ると、教育係と間抜けが立っていて、教育係は格子の鍵をがちゃがちゃとやっていた。
「く! 鍵がかかってる! ぬ! ぬおおおお!!!」
「すごーい、お父さん!」
気合でその鍵をぶっこわす教育係と、それを見てぽやんと声を上げる間抜け。
あっけにとられていると、教育係はオレのほうへつかつかと歩いてきた。
「王子!」
声に、オレは笑う。
「助けに来るのが随分遅かったな。ま、オレはもう城に帰る気はないからな。王位は弟が継ぐ。オレが居ない方がいいんだ」
初めて口にして、理解する。
そうだ。
なんだかんだいって、オレは。
「王子!」
教育係の顔が怒りに燃えたと思ったら、左の耳で大きな音がした。それからじわりと頬が熱くなる。
「な! 殴ったな!」
「王子! 貴方は父上の気持ちを考えたことがあるのか! ……父上は……父上は」
教育係は泣いてるみたいだった。
「……」
「……」
しばらくにらみ合う。教育係の後ろでは、間抜けがおろおろとオレたちの様子を見守っていた。その足元では猫がじゃれている。
「……まあ、ともかくお城に帰ってからゆっくり父上と話されるがいいでしょう。さあ、追っ手が来ないうちに行きましょう」
オレは教育係に手を引かれてそこからでた。
久しぶりの大人の手は、大きくてごつごつしてて、暖かかった。

外に出て歩き出すと、すぐに見慣れない生き物が沢山行く手をふさぐように現れる。
初めて見るが、コレが魔物ってヤツだろう。
「く! もう追っ手が! テス、ここは父さんが引き受けた。お前は王子を連れて早く外へ!」
「お父さん!?」
「大丈夫だ、早く行きなさい!」
教育係の声に、間抜けは暫く戸惑っていた。教育係が頷くのを見て、間抜けも頷く。
「うん、わかった。お父さん、あとでね」
間抜けはオレの手を握ると走り出した。足元にはちょこちょこと猫がついてくる。
「お前! 親父はいいのか!」
「お父さん、強いもん。負けないよ。後からきっと来てくれるよ」
「途中で魔物が出たらどうするんだ!」
「ボクとゲレゲレが退治してあげる! ボク、ヘンリー君の子分だもん!」
「お前……!」
オレたちは懸命に走った。大人が見たらほほえましいくらいのスピードだったかも知れないが、それがオレたちの精一杯だった。
もうすぐ、出口。

出口に、背の高いやつが立っていた。一瞬、寒気が全身を襲う。
コレまで見てきた魔物なんか比べ物にならない。
絶望感。
「ほっほっほっほ。ここから逃げ出そうとするとは、いけない子ども達ですね。この私がおしおきをしてあげなければ……」
にやりとつりあがる口元。

あとの記憶は切れ切れだ。

声を聞いていただけだったのか、それとも薄目を開けてみていたのか。
ぼんやりと霧がかかったような記憶しかのこっていない。
ただ、それがウソではなかったことだけは確か。

教育係が二匹の魔物にやられていた。ずっと、じっと、耐えてる。
間抜けが、いや、教育係の子どもが人質にとられたから。
そのために教育係は動けない。

 
「テス! テス! 聞こえてるか!」
教育係は苦しそうに叫ぶ。
「実はお前の母さんはまだ生きているはず……。わしにかわって母さんを」
彼は、最後まで、言い切ることは出来なかった。
苦しそうに、息をしていたのが、弱弱しくなる。

魔物の炎に包まれた断末魔の悲鳴を、オレははっきり聞いた。

その後の魔物のごちゃごちゃした話は、全部覚えてない。
ただただ、最期の声が耳の中で反響して。


そうか分かった。
オレが、なんとなく教育係のことも間抜けのことも好きになれなかった理由。

テスは、オレにとって初めてのリアルだった。
ぼんやりしてて間が抜けてて、頭とかすげー悪そうで、それなのにオレが欲しくて欲しくてたまらなかったリアルを、親の愛情を、持っていて。
それが当たり前だからか、全然隠さない。
イラつき。
逆恨みして、
嫉む。

オレはそれまで知らなかったんだ。
リアルが。
本当のことが。
自分の思い通りに動いたりはしないって事を。







オレの知らないところで現実っていうのは確かに存在していて、そしてオレが知らないうちに静かにしかし確実に動いていた。
暗闇。
恐怖。
痛み。
悲しみ。
その中でかすかに愛情を知ったのに。

それはガラスみたいなもんだった。
はかないものだった。
知らないものは知らないうちにどんどん磨り減っていくのかもしれない。

少しでも知り合った人間の、
初めて公平に扱ってくれた人の、
もしかしたら初めて好きになれたかも知れなかった大人の死。



テスの父親の死。



初めて出会う現実で、オレは嫌でも目を覚ますしかなかった。
オレが初めて手に入れた現実で、初めて手に入れた友人が壊れてしまったから。
オレはもう夢なんか見ている暇はない。
助けよう。助けなければ。
初めてリアルをくれた友人を、オレは手放したくないんだ。



多分。
一人でここへ連れてこられていたら、オレはここまでしぶとく長くは生きなかっただろう。
最初はコイツを助けなきゃ、という気負いだった。
空回りしていた部分も相当あった。
けど、今は違う。
助け合うからこそ、生きていける。

その段階では少なからずきれいごとでは済まないこともした。
多分、あいつも言わないけどオレの知らないところでそういうことをしただろう。

死なないために、やらなきゃいけないことは相当あった。

オレはあいつが言わないことをわざわざ追求しないし、あいつもオレが言わないことを追求しない。お互い、その手がきれいじゃないことぐらい、尋ねなくても分かっていただけのこと。
オレはオレとあいつのために生きたし、
あいつはあいつとオレのために生きた。
その過程で何があったかなんて、聞く必要はないし、そのことについて、誰かに責められることもない。

もし、責めるやつがいたら、堂々と言い返す。


知らないくせに何が言える?


二人いれば、世界の大体のことはやれるってのにさ。






すっかり忘れていたが、世界の変化っていうのはいつも唐突で、大体心構えなんて全く出来てないときにやってくる。
今回も唐突にそれはやってきた。

いつもどおりの一日が始まって、そして終わるはずだった。

それが決して楽しい一日ではなくても、
そして地獄の日々が毎日続いているだけでも、
オレの知らないところで世界は回り続けていたし、
オレたちは世界から隔絶されたままだった。


「この水牢はドレイの死体を流すためのものだが、タルに入っていればたぶん生きたまま出られるだろう。さあ誰か来ないうちに早くタルの中へ!」


信じていいのか?

一瞬頭をよぎる声。

このまま地獄にいるのと、
底があるのかないのか分からない奈落と、
いったいどっちがマシ?

オレたちはタルの中へ入る。
狭いタルでも3人入れたってことは、そのときのオレたちは見るも無残なくらいやせ細ってたってことになるだろうと思う。
タルの外からは絶えず水の音がした。
時折低く鈍い音が聞こえる。タルが岩に当たった音かもしれない。
それでもタルは動き続けた。
……いや、動いていたんだろうと推測するだけだ。
タルから外をうかがい知ることは出来なかった。
ただ、激しかった水音がやがて消えて、ふわふわと浮いているような感覚に代わったのははっきり分かった。
暫くはその浮遊感が心地よかったが、やがて気分が悪くなってくる。
単に乗り物酔いなのか、
それともタルの中の空気が悪くなってそろそろ結局死ぬのか、
と、微妙な感覚に陥ってくる。

タルの中で同乗者たちは眠り続けていたし(眠ったように見えているだけじゃなくて良かった)ただ静かな時間が流れていた。


やがて、タルのふたに当たる部分から細い光の筋が落ちてきているのに気づいた。
その光は眠っているテスの頬に当たっている。
穴が開いている。
オレは軽いパニックに陥った。
水を掻い出すことは、不可能。

最後の最後で。

と、タルが動きを止めた。
どうしたものかとオレはそのなかでじっと外の音に耳を傾ける。
何も聞こえない。

無音の世界で、光の筋は確実にテスの頬を照らす。



唐突にタルのふたが開いた。
誰かが覗き込んでいる。


「あら! あらあら! まあまあ!」
太陽の光を背に、驚きの声をあげたシスターが、そのときばかりは神様に見えた。






思えば、それでもオレは幸運なほうだったんだろう。
まず第一に、死ななかった。
死なない代わりに色んなものを代償にした気はするが、そんなのは多分些細な話だ。
それから、友達に恵まれた。
一人しかいない?
一人いれば充分じゃないか。
数がいたって何の意味もないなら、それはいないのと一緒だ。
そして。

生きてあの地獄を抜け出した。



それなりに荒んだこともあったし、体もお世辞にも丈夫とは言い難い。
それでもオレは生きている。
今、自由にしている。


オレは、幸運な男だ。












95000ヒット・雪刃様のリクエストは「ヘンリー君」、もしくは「ヘンリー君とテス」でした。
06年9月25日の話だそうです。


おっそ!!!(現在07年3月21日)


実はこの話、最初に書いたのはもっと救いがない感じで、暗くて陰湿で全然よろしくない話で、しかも書いても書いても終わりが見えないといういやな感じのドツボにはまっておったのですが、題名を決めた瞬間、それこそ「暗闇から手を伸ばした」かのように大体の形が見えたのでした。
題名って大事ですね(←いつも適当につけといて何を言うか)
没バージョンはいつか再利用できねえかな、とか思ってます(……まあこれも再利用といえば再利用なんですけど・苦笑)

あ。
題名は小沢健二の「暗闇から手を伸ばせ Reach out of the darkness.」からです。
大昔の曲で失礼。

こんなのでよかったでしょうか? 返品可ということで。