プロフィール

★"あつ"のプロフィール★
【本名】大川敦子(オオカワアツコ)
【生年月日】1977.5.31(双子座)
【血 液 型 】 A 型
【出身地】三重県津市
■特技:どんな状況でも楽しめる(笑)
■好きな色:黄色(とにかく黄色に惹かれる・笑)
■好きな花:ひまわり(やっぱり黄色だなぁ・笑)
■好きな言葉:人生はかけ算だ。
       どんなにチャンスがあっても君がゼロなら意味がない。
■好きだったアニメ:あさりちゃん・悪魔くん・笑うせぇるすまん・スラムダンク
■好きな食べ物:牛タン・オムライス・野菜炒め・温泉たまご・いちご・もやし
 ギター弾き語り・女性シンガーソングライター。2003年8月より約150日間に及ぶ「日本全国・路上の旅」に挑戦。その旅の経験を生かしながら当時在住の三重県を中心に幅広く活躍してきた。様々な経験をする中で自分の内側から生まれてくる想いや自分自身の存在を、そして誰もが一瞬にしてひとつの輪になれるという音楽が持っている本当の素晴らしさを、自分の唄を通してより多くの人々に伝えていきたいと上京。2006年3月メジャーデビュー!!

  
★"あつ"の年表★
1977年 三重県の小さな町に家電ショップを営む一家の長女として生まれる。帝王切開で、母親のお腹から取り上げられる前にすでに大きな声で泣いていたため、医者に「この子はよくしゃべる子になるぞ」と太鼓判の押され、その通りに育つ(笑)。
1981年 町立一志保育園に入園。とてもわんぱくに育つ。当時流行っていた戦隊もののリーダーであるレッド役ばかりしていた。大のおばあちゃんっ子で、おんぶしてもらっているその肩を噛むと言う癖があるほどだった。
1984年 町立高岡小学校入学。放送委員になり、大好きだった「光GENJI」の曲をかけまくる、歌いまくる。振り付けも全部覚え、体育館や教室で踊りまくる。まさに元気玉であった。
1990年 町立一志中学校入学。ソフト部に入部。「ダウンタウン」を知り、人を笑わせる喜びを覚え、お笑いにドップリはまる。部活の友達と漫才のネタを考えたり、合宿でのお楽しみ会では大喜利を企画していた。
1993年 念願の私服通学である県立津西高等学校に入学。今までできなかった事、なんかカッコいい事がしたいと言う安易な考えから、男だらけの軽音楽部に一人で乗り込む。「一人ではバンドは組めない」と言われガッカリしながら教室を出ると、様子を伺っていた何人かの女の子に声をかけられ、一緒にバンドを組むこととなる。当時は、バンドで歌うことは考えられず、ギターも挑戦したものの弾けずに断念し、ドラムを担当。初舞台は同校の文化祭で、衣装は全員学ランだった。
お笑い好きは変わらず、進学校であるにも関らず進路相談で「吉本に入りたい!」と言い先生を困らせる。先生になだめられ、理系クラスを選択するものの、途中で英語が好きになり、さらに進学で悩む。
体育の授業が自習になった高3のある日、進路指導室へ行くとたまたまその日が申し込み締め切りの外国語学科推薦入試の情報を見つけ、その場で申し込む。これが今の「あつ」を作る大きな分岐点となる。人生はタイミングだなと今、実感する。当時はさすがに親はビックリしていたけれども…(笑)
1996年 名古屋学院大学・外国語学部・英米語学科に入学。サークル説明会で次々紹介されるサークルよりも、司会進行している「放送文化研究会」に興味を持ち入部。アナウンス科に入り、名古屋シティFMで番組を担当したり、大学祭でのイベントの企画・運営・司会をする。イベント等ではたくさんの変装もしたが、人前で何かを表現することが快感だと知る。ちなみに、このサークル卒業者として、「青木さやか」さん、後輩には名古屋吉本の「ブロードキャスト」がいる。
また、夏休みに一般学生を募りバス2台で2泊3日のキャンプを企画・運営するサークル「キャンパスライフ向上委員会」にも所属する。これらの経験から、自分の案で企画を立て、それを運営し、人を楽しませる事が自分の喜びであると確信する。
肝心な英語はと言うと、サークルに夢中になったためか、すっかり英語アレルギーになってしまっていた(笑)
そしてこの頃、路上で自分の思いをぶつけるストリートライブにも魅了され、ギターに興味を持つが踏み切れない日々が過ぎる。卒業間際にその時の思いを歌詞にし、ギターが弾ける後輩に曲をつけて欲しいと頼む。こうして自分で弾けないままのオリジナルが完成(笑)。
2000年
〜2001年
大学を卒業し、地元の町役場の契約職員として働き始める。何度も投げ出していたギターにようやく目覚める。独学では上達せず、地元新聞に紹介されていた「NPO法人三重県アマチュア軽音楽協会」主催の「ライズミュージックスクール」に入会。サークルのような感じで音楽の楽しさを教わる。「今度ライブイベントやるから、ギター持って遊びにおいで」と言われ、1曲しか弾けない状態のままステージに立たされる。わけもわからないながらも唄い切る。また、平和を唄う団体「音楽文化集団うた♪うた」にも所属。唄のメッセージ性、人に伝わる歌とは何かを考えるきっかけになる。人前で表現する事、伝える事、歌う事が一致した。ここから「あつ」の音楽人生が始まる。
2002年 初の完全オリジナル曲を作る。ボイストレーニングにも通い始める。名古屋駅ナナちゃん人形前での初めてのストリートライブでは、不安で「帰りたい…」という弱気な自分に渇を入れ、おもむろに唄のナナちゃん前でのストリートライブで、その月にオープン予定のライブハウスのオーナーに誘われ、初めてのライブハウス出演が決まる。それ以後様々なライブを開催。ライブをやる度に人の輪のつながりの大切さを実感する。
2003年 音楽仲間の協力を得て、初の自主制作CDが完成し、それをきっかけに勤めていた町役場を辞め、本格的に音楽への道に進むことを決意。仕事を辞めたものの、それまでとあまり変わらない自分がいることに気付き、そのまま時が過ぎるのが怖くなる。今しかできない自分らしい何かを始めようと「日本全国・路上の旅」を思いつき、ギターを抱えての一人旅に挑戦。大きなのぼり旗を立て、ストリートライブや各地のライブハウス等で歌い巡る一人旅。地元で出発式を行い、仲間に見送られる中、旅経つ。
福井県前地下道でのストリートライブでは雨水で滑って自転車が突っ込んできたり、千葉駅前ではズボンのチャックが全開だったり、静岡の安宿では女風呂からおじいちゃんが出てきたり、毎日がハプニングだらけの旅だった。非日常的な旅では、トイレにも行きたいと思ったらまずは探さないといけない状態で、家にトイレがあるってありがたいなーと、基本的なことから感謝感謝(笑)。このような合計150日間に及ぶ旅の経験が今の「あつ」を支える大きな主軸となる。世間の冷たさ、人のぬくもり、日常生活のありがたさ、人とのつながり、出逢いの大切さを痛感する。
2004年
〜2005年
旅の経験を元にできた曲で、4曲入りのミニCDを合計3枚作る。ライブハウス、イベント、その他様々な所で今まで以上に幅広く活発に活動する。イベントの中には、ウルトラマンと楽屋が一緒だったり、お笑いショータイムでは大学のサークルの経験を生かし「まちゃまちゃ」さんの司会をしたり、吉本新喜劇の川畑泰史さんのプライベートバンドとご一緒させてもらった事もある。
この頃本格的にプロを目指し、いくつかの会社にデモテープを送る。その中で、個性的なアーティストがたくさん所属している代官山プロダクションの新田社長と出逢い、自分の可能性を伸ばすにはここしかないと思い、2005年、上京を決意。
2006年 年明け早々に、上京。そして3月、念願のメジャーデビュー決定!!