根付の着色法 「秘伝」大公開



はじめに
 平成九年一月二十五日の日本根付研究会で、私は「根付の着色法」の講演を行った。


 これは古今を通じて秘伝とされ、一般に公開されなかったものである。
この日は四十数名の参加者があって、皆々興味をもって真剣に聞いてくれた。
特に初公開の「お歯黒染め」と「豊昌」の話には驚くやら感心するやらで、質問も幾つか有って盛会であった。
 終わりがけに参加の会員から、これを「雫誌」に発表してほしいとの要請があった。
実は、この研究会で発表するのも躊躇していたのである。
古来より秘伝とされていたものを、私如きが、ここでバラして(発表して)しまって良いものかどうか悩んだのである。
然し、いずれは何らかの形で、明らかにされるべきものてあり、この日の発表になったものである。


秘伝について

 根付の着色法に関しては 古来より秘伝(秘法)とされ、根付師の内弟子に入って五年・十年経ってもその着色法はなかなか教えて貰えなかった。
 その為、弟子は師匠に気に入って貰うよう努力して教えて貰うか、独立後、自分で苦労して探索したのである。
それで自分で会得したものを、なかなか他人や弟子に教えず、そのまま死んでしまつたら、又、これは秘伝となってしまって途切れてしまうのである。
なぜ私がこの時期に発表に踏み切ったかと言えば、前々回の研究会で、「友一」の着色法について幻灯の合間に、彼「友一」のツートンカラーについて少し述べたことで、この件に関して会員みなさんの興味が高まっているので、今がベストと考えたからである。
余り興味のない話をダラダラやっていると、居眠りをされたり、私語が多くなるのである。
 では・・・。

夜叉五倍子(やしゃぶし)染めについて

 根付の着色法に関しては、古来より夜叉五倍子で煮るとよく言われている。
然しそのまま煮ても、あまり効果が上がらないのである。よく新案特許等でも、幅広く権利を押さえておくが、それだけではまともな物は出来ない様になっている。
そこにはノウハウと言うか、コツと言うか秘伝があるのである。その秘伝の一つ一つは、コロンブスの卵と同じで、聞いてしまえば、他愛もないことが多いが、知らなければ赤子と同じで何も出来ないのである。


夜叉について

 これは長さ一センチ五ミリ・横一センチ程で、全体にトゲの生えたネギ坊主のような形をしたもので、昔は人里離れた海岸の脇等に群生していたらしい。
これは実か種か私は知らない。
それが秋になり、うれて(熟して)茶褐色になったものを採ってきて乾燥し、これをホウロク(大豆などを煎るとき用いる素焼きの皿のような物)に入れてほどんど焦げるまで煎る。
それを「ヤゲン」(これは以前豊昌の印刀のヤゲン彩り等で説明した)に入れて細かく摺りつぶすのである。やげん
更に、すり鉢で粉にする。
これが夜叉の粉である。
これはその昔、小間物屋や雑貨屋等で売っていたらしい。
(一説に、黒い粉ではなく夜叉から採って精製した白い紛、すなわちタンニンそのものだと言う説もある)

 これは何に使うのか、この様なところで売っていたのかというと、「お歯黒」に使うためであった。


「お歯黒」とは

 お歯黒とは平安時代から堂上貴族夫人らに使用され、だんだんと一般に使われるようになったのは、江戸時代となってからで、誰が使用したかと言うと既婚の婦人が歯に付けたのである。
皆さんも御覧になったことがあると思うが、時代劇やテレビドラマで中年の婦人が、口を開けると中は真っ黒で歯が無いように見え驚かれた事があるだろう。
 この話をする十日ほど前の一月十四日の晩十時、NHKテレビの歴史番組、「堂々日本史・大江戸八百八町の花嫁達・百十五通の手紙が語る、女の一生」という番組があり、この中でお歯累の事がかなり詳しく放映されたのである。
その内容は地方の娘が江戸へ出て武家の奥女中になり、長年苦労して一生を送るが、その間、郷里の両親に出した手紙が残っていて、彼女の一生がまざまざと表現されていたのである。
そこでお歯黒とは、先ほどの夜叉の粉を水と共にお歯黒壷(これは全国各地で焼かれた高さ経とも二十センチ前後の物と、十センチ前後の物がある)に入れる。
他に酢、酒の残り、お茶の残り、古釘等鉄の錆たものなど、これを一緒くた(ごちゃ混ぜ)に入れておくと、真っ黒なドロドロの液体が出来る。
これを嫁となった女性が歯に付けるのである。
この目的は何か?
私も長い間分からなかった。
既婚の婦人が眉を剃ったり、お歯黒を付けたりし、醜くして夫に貞節を誓うのかとも思っていたが、先述のテレビをみてやっと分かった。
それは女性が嫁入りして妊娠すると、お腹の赤ちゃんに栄養分、特にカルシュウムを取られ、産後に髪の毛が抜けたり、歯がポロポロになったりすると言うが、このお歯黒を付ける事によって、歯をガードし虫歯に成り難くする為であった。
今日では歯科医に行って、フッ素を塗って貰うのと同じだった。
 テレビでは、先ず酢に錆た鉄片を入れた水溶液を歯に付け、次にタンニンと言う白い粉(これは木のこぶから採ったと言っていた)をその上からブラシで付けると真っ黒に発色していた。余ったものを唾と共に附属のたらい状の容器に吐いていた。
 法実の饅頭根付に、お歯黒を付けている図があったので発表する。

法実作「お歯黒の図」饅頭根付 お歯黒道具
「法実」作 饅頭根付 お歯黒の図  裏面鏡と道具  (花押) お歯黒道具(太陽増刊号より)


口中でツバにふれても色が流れずしっかり定着する「お歯黒」これを根付の着色に応用したのが誰あろう「豊昌」であった。


豊昌のお歯黒染め

 これは私の昔からの持論であったが、なかなか自信を持って言い切るまでいかなかった。
最近やっと確信を持てる様になったので発表するものである。
 豊昌は彫り上がった作品にこれをくまなく塗り(この場合普通の筆では腰がないので硬いブラシに近いもので塗る)乾きかけた頃合いを見計らって、これをふき取るのである。(これは、かの有名な吉村周山が漆で着色してから、乾かす前に、部分的にふき取って時代ずれを表したのと似ている。)
 そのふき取る時間と程度によって残る色の濃淡がきまるのである。
これは私が所持する豊昌七拾五才作、虎の置物を綿密に観察して発見したものである。

豊昌作 虎置物
豊昌作 虎置物 「豊昌七拾五歳作」銘
お歯黒を塗った刷毛跡が見られる

底面にハケで塗った様な跡がかろうじて見られる。
この作品はあまりお歯黒をふき取って無く、ほどんど真っ黒である。
しかも、その塗られたものに厚みがある。何年も分からなかったのだ!
 同じく先日回覧した太陽の増刊号、「江戸細密工芸」の豊昌作品を見て貰えばよく分かると思うが、例えば、頁一三五の虎と猿、これは豊昌六十九才、左豊昌三十一才と両件の年齢銘が有るとのことだが、この出っ張ったところと、奥まったふき取りにくい凹部に残った黒い塗料を見ていただきたい。
一目瞭然であろう。


「虎と猿」豊昌六九歳、左豊容三一歳両作(太陽増刊号より)親子合作

次に狸(これは出入りが少ない為、ほどんどふき取って有る。)前頁の雲龍・瓢中の籠・龍虎いずれも同じである。

瓢中の龍 豊昌作 (太陽 増刊号より)


 豊昌以外にも沢山の作家が、このお歯黒染めを行っており、特に十八世紀の作と言われる無銘の大型根付に多いのである。
 他に一貫、一部の友一、 京都正直・・・まだ捜せば沢山いるだろう。 
まあ、それほどお歯黒が世間一般に行き渡っていた訳である。


煮沸染めについて

 それでは話を元に戻して夜叉による煮沸染めについて述ぺよう。
 夜叉の粉と水と「山梔(くちなし)」と森田藻己の着色法にあるが、これは「くちなし」の実のことである。これを説明する。

 くちなし「梔子、巵子、山梔子」
 果実が熟しても口が開かぬから、名付けた「あかね科」の常緑潅木。 高さ一〜三メートル。
 葉は光沢有り、長楕円形革質。
 夏、白色の六弁花を開き芳香がある。
 果実は熟すと紅黄となる。 
 観賞用とし、又、果実から採った黄色色素は古来、染料、乾かした果実は漢方で吐血、利尿剤に用いる。

 くちなし色・・・くちなしの果実で染めた紅味を帯びた濃い黄色。

 よく考えてみると、これほ私達が子供の頃運動会で走る前後に、ふくらはぎにこの実の汁を塗ったことがある。
黄色いオレンジ色の汁が出て、塗るとその部分がスーッとして足が軽くなった。これだった。
 これらを土鍋に入れて七輪に掛け煮るわけだが、これをいつまでもぐずぐず煮ても、いわゆるツゲの木を使い込んだ色、すなわち薄茶色には染まるが、それ以上にはなかなか染まらないのである。
 秘伝の一っ。
これは私が長い間苦労して自ら突き止めた事であるが、しばらく煮てから火力を強くし、沸騰させるのである。この時ぐっと色が染み込んで発色する。
 然し何時までも沸騰したまま煮ていると、どうなるかと言うと、今度は「おかず」になってしまうのである。「おかず」とは御飯と共に食する物である。
 これは材料の木の成分である膠質のセルロースが解け出して変形し、生のままでは馬しか食ぺない人参も、煮れば一番柔らかな煮物になってしまう。大根もしかり、箸が通れば煮上がったとするものである。
 この時、長時間ぐつぐつ煮ていると、根付でなくなってしまうので、沸騰したら速やかに火を止めて引き出し水分を切るのである。


森田藻己の‥着色法

 ここで森田藻己の着色法について言えば、彼、藻己の作品は、あまり色の「濃い」 「黒っぽい」ものは少ないと言うことで、全体としては、ネズミ色がかった茶色である。
 これはなぜかと言うと、彼の彫りは極くこまかい作品が多いので、材料はツゲよりも桜とか梅の木等のあまり硬質のものでなく、目はつんでいるが、比較的柔らかな木を使用している為でもある。
 なぜ細かい仕事にツゲの木が無理かと言えば、ツゲには厚みのある刃物でこぢて彫らねぼならず、細かい所まで入らないし、厚い刃物でこぢると彫り残すべき細かい所、部分に、どうしても力がかかって、仕上がってから何年もすると、必ず折れたり欠けたりするのである。
その点、桜や梅ならば薄い良く切れる刃物で、精密に作れば良いわけで、これを染める場合、藻己の染色法を読むと、十数時間とか一昼夜煮るとある。
これは先程述べた様に、沸騰させて長時間煮るのではなく、低い温度、いわゆるトロ火で長時間煮て、沸騰させたのと同じ効果を出そうとしたものである。
 又材質から言うと、ツゲの木は数十年経った木でも、経三〜四センチ位にしかならず、やっと丸木のままで根付が彫れる程度である。 
それで仕方なく木の芯を入れたまま彫らぎるを待ず、煮沸染めには適していないのである。
木の芯を抜かず煮沸染めをすると、後年必ず割れの原因になるのである。
その為、伊勢の正直は材料に意を用い煮沸しない方法である。
 桜や梅の木は大木がいくらでもあり、これを削り木にして使えば、後日削れることはなく、煮沸染めにも適しているのである。

 藻己は更にタンカラにて、同様十時間余煮るとある。
 先日の講演会で会長から「タンカラ」の意味を聞かれた。
私が、上田令吉の「根付の研究」を手に入れたのが三十余年前であった。
そのころ調べたが、今は忘れてしまったと答えた。その後、再度調べたので答えを兼ねてここに記しておく。

 タンカラ・・丹殻・・・1おひるぎ(紅樹)2オヒルギの樹皮を煎じて採った汁。
これに布吊を消し絞って石灰水に通ずれば赤茶色に染まる。紅樹皮のこと
とある。


根付の磨きについて

 染める前に完全に磨かれた根付でも、水につけたり煮たりすると、どうしても膨張して木目が立ちざらついたりする。それで着色する淵都度、又磨かなければならない。藻己が何度も何度も磨き直しするのがこれである。


色止めについて

 着色後、色止めが必要である。着色したままで身につけると、汗や雨・湿気で濡れたりすると、その色が解け出して、衣服を汚すことになる。
 色止めには、先日の講演会で回した、イポタの花(これは山の細い木の枝に自生する虫の巣だとの説がある)イポタロウはこれを精製したもの。
 これをまぶしてブラシングする。この場合ブラシの往復運動で粉を飛ばしてしまわず、円運動でブラシングするのがコツである。イポタの花は水にも溶解する不思議な蝋で大変便利なものである。

その他

色止めには古来よりエイの油が使用された。

これは本当かどうかわからねども、私の聞いた話では、魚のエイ(ヒラメに似た形で一メートルもあるもの)の肝臓を煮詰め採ったものとの説があるが、昨今ではエゴマから採った油を使用するのが一般的になっている。
これはその昔、雨傘に塗ったものである。
これを塗ると油分が乾燥した後、皮膜が残り(出来て)外気を遮断して、色落ちや
割れを防ぐ役目をするのである。


余談@ お茶のタンニンと田んぼの水中の鉄分

 これに関連した一寸面白い話があるので紹介する。
 今から数年前の話。私の姪の縁談が決まり、その荷物運びに召集された。
場所は津市の郊外。そこへ集まった人たちの中に一人の老人が居た。
この人は義理の兄の一番上の兄に当たる。その人が両手の指先を真っ黒にしているのだった。
聞くと朝、家でお茶を摘んで(今でも農家では自分の家で使うお茶や味噌等は自家製である。)その後、田圃の水を見に行って来たと言う。
田の水は多分に鉄分を含んだものが多いので、お茶のタンニンと鉄の錆び分が化合して、黒くなったらしい。
私は先述の事柄が頭にあったので、驚きと共に得るところがあった。
 さて、この縁戚筋の老人はそれを取るににどうしたかと言うと、姉に言ってトマトの切れ端を貰い、それで黒くなった指先を揉んでいる。
するとどうであろう、その黒い部分は綺麗に落ちて、元の肌になるてないか!
また、驚きと感心が有った。何か化学で説明出来るのだろうか、長年の生活の知恵で、この様な事が知られていたのだろう。


余談A玉葱の皮

 これも今から何年も前の話。
私が根付を彫ってその着色法で、苦労して居るのを知っていた友人が言うには
「奥野さん、根付の着色法教えたろか!これは秘伝やから誰にも言うなと言われて、教えてもらったんやで、誰にも言うなヨッ!」
と値打ち百篇持たされて聞いたのだが、玉葱の一番外側の茶色の皮、これを乾燥したもので煮ると良い色になるとの事。
「そうか、一辺試してみるわ!」と家に帰って家内に「今度玉葱を使うたら皮とっといてくれ」と言った。
家内は「何すんの?」と開く。
「根付染めるのに秘密やと、値打ちもたされて、教えてもろたんやが」と言ったら、
「それなら私が何年も前に言うたやないの」と言う。
 私は「ソーやったかいな?・・・」と全く覚えがない。
 家内はその当時、手芸教室で
聞いてきて私に言ったらしい。
気のない者には何とも仕様のないもので、私もその後一度も実験していない。


余談B鉄さぴ(酸化第二鉄)

 根付に限らず木彫の着色には、この鉄錆びが大変重要な役割を持っているらしい。
鉄錆は鉄には大敵であるが、これを逆手にとって、効果を高めているのである。


鞍馬石と鉄錆

 昔、私は石の趣味を持っていたが、庭石等として全国的に名石と言われているものに、京都の北山、鞍馬川から出る鞍馬石がある。
 これは鉄分を含んだ花崗岩で、普通の鉄分を含まない花崗岩ならば、風化するとこまかい砂になってしまうのである。
然し鞍馬石は鉄分を含んているので、割れたり、川ずれで石ころ状態の丸い形になると、その外皮に鉄錆を生じて、えも言われぬ錆色の美観を呈してくるのである。
 この鉄錆は石に限らず内部へわずかずつ浸み込んで、欽錆び同志強く結合して強固な皮膜を作ってくれるのである。俗に鞍馬のソゲ石と言って、丸い石の外側がそげて三日月の様な形になったのが有り、それに錆がのって、石の愛好家にもてはやされている。


瀬田川「虎石」について

 滋賀県、琵琶湖から流れ出る瀬田川は、名石を産する川として昔から有名である。
流れるような線の「カネ真黒」等。
それらの中に「虎石」と言って黄色と黒(鉄分を含んだ)との部分が交互に重なっていて、それが縦に表われると、丁度虎の皮の縞を見る様な石である。
この白い部分は割合もろいのだが、隣り合った黒い部分から鉄錆が滲み出て、それが作用して丸味のある飴色のズルッとした石に変わるのである。


終わりに

 これにて、これまで秘伝とされていた根付の着色法の百パーセント近くを公表した。

 願わくば、これを善用して根付の世界の発展に役立てて貰いたい。
また、これが悪用されて、ニセモノの時代付けに利用されたり、新作根付が黒一色になってしまうのを、危惧するものである。


 根付の着色法、終り。